大阪地方裁判所 昭和51年(ワ)4352号 判決 1984年6月25日
原告
小松俊雄
右訴訟代理人
浦功
新谷勇人
菅充行
被告
松井善邦
右訴訟代理人
米田泰邦
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実《省略》
理由
一原告は昭和四八年二月一二日午前九時三〇分ころ被告方病院で受診した患者であり、被告は同日原告を診察した医師であること、原告が斫業者であること、原告が昭和四七年九月ころ、頸部の痛み等で被告の診察を受けたことがあつたこと、本件診察時における原告について拇指背屈筋力検査では筋力のやや減少がみられ、知覚障害検査で障害のなかつたこと、被告は、原告の痛みが激しいため同人の体を半転させることができず傍脊椎及び臀部外側圧痛点テストができなかつたこと、被告はレントゲン写真から原告につき第四、五腰椎間の狭少のため椎間板ヘルニアの疑いを持つたこと、被告は原告の症状を見て通院不能と判断し入院を勧め、原告もこれに従い同日午前一〇時三〇分ころ担送されて入院したこと、被告は、同日の午後原告に対しミエログラフィーを施行し、その結果、原告について同人の腰椎第三、四番間に損傷が認められるとしてその部位に椎間板ヘルニアがあるものと診断したこと、原告は病状が回復して入浴もでき、同月二四日にはコルセットを装着したこと、原告は同月二五日、被告の依頼により病院内の手術室のコンクリート台の斫作業に自ら従事したこと、原告は同月二六日被告の許可を得て退院したこと、原告は右退院後被告方病院に通院して治療を受けたが、同年四月二五日で通院を中断したこと、被告は、同年三月一九日、原告を診察して第五、六頸椎間の頸椎骨軟骨症と診断したこと、原告は被告の依頼により擁壁工事等の下請業者を紹介したこと、原告は、同年八月二九日、再び被告方病院で受診し、同年九月一七日まで通院したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
二<証拠>に前記一の争いのない事実を総合すると、原告の症状及び診療の経過につき、以下の事実が認められる。
1 原告は、大正一五年一月二五日生まれで、昭和三九年以来大阪でコンクリートの掘削を行う斫業に従事してきたが、昭和四七年ころ、仕事中無理をしたときに腰部痛(腰痛はこのほか年に一、二回はあつた。)や足のしびれ感があつたものの病院で治療を受けたことはなかつたところ、昭和四八年一月三〇日腰痛を感じ始め、同年二月八日右症状は増悪したが、従来の腰痛と同程度のものと思い仕事を続けた。しかし、原告は、同月一二日朝、腰痛等のため自力で起き上がることができず、柱につかまつてやつと立ち上がれる状態になつたので、同日朝妻の付添の下に被告方病院に受診のため赴いた。原告は、同病院の玄関では腰痛のため自力では移動できず、担送台(ストレッチャー)に寝て担送してもらわなければならない状態であつた。
2 被告方病院においては、被告が原告の診察にあたることになり、被告は原告の診察に先立ち同人にその落痛部位を人体図面にかかせ、その後原告を問診した。原告は問診に際し、左腰部、左下肢部の激しい痛みを訴えた。次に、被告は、原告に神経学的検査を実施し、下肢伸展挙上テストでは右下肢三〇度、左下肢七〇度の角度までそれぞれ挙上すると原告の左臀部に放散痛が生じ(これは椎間板ヘルニアの典型的症状である。)、栂指背屈筋力検査では筋力のやや減少がみられたが、知覚障害検査では異常はなかつた。被告は、原告の傍脊椎および臀部外側圧痛点は、同人が痛みのためうつ伏せになれないので確認できなかつた。さらに、被告は、レントゲン撮影を実施し(この時はマイオジールは使用しなかつた。)、その結果、原告の第四、五腰椎々間に顕著な狭少部が見られた。被告は、同部位が椎間板ヘルニアの最多発部位であるところから原告が椎間板ヘルニアに罹患しているとの疑いが濃厚であると判断した。被告は、以上の所見により、原告の症状は重く通院治療は無理と判断し、このままの症状が続くなら手術が必要であると考え、原告に精密検査のため入院を勧め、原告もこれに従い、同日午前一〇時三〇分ころ、被告方病院(二階病室)に入院し、直ちに一般の血液検査を受けた。被告は、同日午後、精密検査のためミエログラフィー(造影剤透視術)を実施することにし、原告に対し、造影剤を腰から注入してレソトゲン検査をする旨の説明をしたところ、原告がこれに同意したので、マイオジール4.5cc(三cc入りアンプルを二本使用したが、被告は通常4.5ccを使用していた。)を注射器を用いて同人の椎間から脊髄腔内に注入し、直ちに腰椎穿刺針を抜去した上、同人がうつ伏せになつたレントゲソ透視台を上下左右に動かし、あるいは体位の変換によりマイオジールを移動させて同人の罹患部についてレントゲン撮影をした。被告は、右ミエログラフィー(以下、本件ミエログラフィーという。)の結果、原告の第三、四腰椎々間左側に陥凹部が認められたので、この部位を罹患部位と判断し、原告の症状が好転しない時は早急に手術すべきであると考えたが、更に翌日検査した上で罹患部位を再確認することにし、マイオジールは原告の脊髄腔から抜去せずそのままにし、同人を病室に帰した。被告は、ミエログラフィー後、原告に対し、マイオジールが脳室内へ逆流しないようにするため、頭を下げないこと、逆立ちをしないこと等の指示はしなかつた。原告は、同日午後九時ころ、腹痛や腰部痛を訴え、鎮痛剤の注射を受けた。原告の右腹痛は腰痛のため体内のガスを体外へ排出できないために生じたものであつた。
3 被告は、翌一三日の午後、原告に対し残存マイオジールを利用して再度ミエログラフィーを実施し、前日と同様レソトゲン撮影をした。被告が前日と同様の写真を撮影したのは、神経根嚢像消失(神経根嚢から太い神経が下肢の方へ出ており、そこが圧迫されるとマイオジールが通りにくく、マイオジールが写らない部分が生ずること)によつて罹患部位を確認するためであり、そのためには時間の経過が必要であり、マイオジールを抜去せず原告の体内に残して置く必要があつたからである。被告は、右ミエログラフィー終了後、腰椎穿刺により脊髄液とともにマイオジールを吸引する方法で原告の脊髄腔内からマイオジールの抜去を試みたが、抜去の途中原告が激しい痛みを訴えたので中止した(被告によるマイオジール抜去量は不明)。その後、被告は原告からマイオジールを抜去することを試みたことはなかつた。
4 被告は、翌一四日、原告の病室に赴くと原告がベッドの上に坐つており、前日までの疼痛が著しく軽減していたので、手術を控え、保存的療法によることとし、装具業者に依頼して原告のコルセットの型取りをさせた。原告は、同月一九日、右コルセットの仮合せをしてもらい、腰に超短波をあて腰を牽引する物療治療を受け始め、同月二〇日には、被告の許可を得て被告方病院の近くにある銭湯で入浴できる状態となり、同月二四日には、右コルセットを装着した。原告は、同月二五日、被告の依頼を受けて被告方病院の手術室、同準備室の不用のコンクリートの斫り工事に自ら従事し、翌二六日症状軽快のため被告方病院を退院し、同月二七日からは、自ら自動車を運転して被告方病院に通院し、主として鎮痛剤の投与や前記物療治療を受けた。
5 原告は、同年三月一九日、自動車を運転中に車の接触事故に会い、当日、被告の診察を受けた。レントゲン撮影の結果、原告の第五、六頸椎々間に狭少、骨棘の形成、右大後頭神経(頸椎から反転して後頭部、頭頂部にかけて分枝している神経)圧痛、右僧帽筋圧痛、右棘下筋圧痛が認められ頸部挫傷との診断であつたが、被告は、保険請求の関係上(原告が警察官署に事故届をしていなかつたため他人行為による事故として取扱えなかつた。)、自然疾患である頸椎骨軟骨症として扱うことにし、原告に対し、前記腰痛の治療と併行して、大後頭神経ブロック、頸の牽引、鎮痛剤注射等の治療をし、原告は、同年四月二五日まで通院を続けた。ところで、被告は、以前にも昭和四七年九月一一日から同月二六日まで、被告方病院に第五、六頸椎々間の変形による頸椎骨軟骨症のため頸の痛みを訴えて通院し、大後頭神経ブロック、頸の牽引等の治療を受けたことがあつた。
6 原告は、昭和四八年八月二九日、腰痛が再発したため被告方病院への通院を再開し、腰の牽引等の治療を受け、同年九月一一日からは頸の牽引も再開し、同月一七日まで通院を続け、同日をもつて被告方病院での治療を全て終了した。なお、原告は、この間、被告の依頼を受け、被告宅のブロック塀工事や被告の所有地の擁壁工事を請負つたり(実際の工事は他の職人にさせた。)、被告とともに飲酒したりしたことがあつた。
7 原告は、昭和四九年一月二二日、鳥潟病院で受診し、左肘関節、上腕部等の痛みを訴え、同病院では左肘関節炎と診断され、投薬等の治療を受けた。その後、原告は、同年二月二八日、森永鍼灸院で肩こり、頭重、眼精疲労を訴え、同年五月ころまで通院し、灸や眼のふちにハリの治療を受け、また同院に通院中に川島整形外科に腕の痛みを訴えて通院した。
8 原告は、昭和五〇年一月一四日。北脇整形外科で受診し、腰痛、右肩痛を訴え、同外科での診察の結果、前屈制限や第三腰椎に圧痛が認められて根性座骨神経痛、肩関節周囲炎と診断され、腰部変形機械矯正や温熱療法等の治療を受けることになり、同月一六日、レントゲン撮影の結果、原告の腰椎にマイオジールが残存していることが判明した。その際、原告は北脇哲雄医師に造影剤のことを尋ねられたので、被告に造影剤を注入されたが同人は散つてしまうと言つていたと答えると、北脇医師が頭をかしげたことがあつた。原告は、北脇整形外科には同月二四日まで通院を続けた。しかし、原告は、同年五月一七日、再び北脇整形外科で受診して左膝痛、腰痛を訴え、北脇医師は根性座骨神経痛兼多発性関節炎と診断したが、同日のレントゲン撮影の結果、原告の腰椎に依然としてマイオジールが残存していることを確認した。そこで北脇医師は、同月二〇日、原告に対し脊髄穿刺を行つてマイオジールの抜去を試みたが少量しか抜去できず、原告は右抜去後耳鳴り、頭頂部疼痛を訴えた。原告は、同月二六日に耳鳴り、頭痛を、同月三一日に頭痛を、同年六月二日には耳鳴り、頭痛、右膝痛をそれぞれ訴え、同月五日まで同病院に通院した。その後、原告は、同年一〇月一六日、再び同病院で受診し、その際は頭痛、左顔面がかかつとすると訴え、北脇医師は偏頭痛と診断した。
9 原告は、同年六月四日、再び鳥潟病院で受診し、腰痛、膝がガクガクする症状を訴え、レントゲン撮影の結果原告の腰椎にマイオジールが残存すること、第四、五腰椎々間の狭少が認められ、根性座骨神経痛と診断された。原告は、同月六日マイオジールの除去を希望して同病院に入院するとともに、残存マイオジールを用いたミエログラフィーを受け、その結果第四、五腰椎々間に右陰影欠損が認められた。原告は、同月九日午後二時三〇分ころ、同病院において、左側臥位で第四、五腰椎々間の腰椎穿刺によつて相当量のマイオジールの抜去を受けたが、途中右後頭神経部痛を訴えたのでマイオジールが一部残存する状態で抜去は中止され、鎮痛剤の投与を受けた。原告は、同月一四日、一六日に頭痛や耳鳴りを訴えて鎮痛剤の投与を受けたが、同月一六日、軽快退院し、その後は通院することになつた。原告は、同月二一日から同月三〇日にかけては悪心、嘔吐、発熱を訴えたが、その後は主として頭痛、耳鳴りを訴え、鎮痛剤の投与、理学療法等の治療を受けた。原告の昭和五一年三月一九日当時の同病院での症状は、自覚症状が両側の耳鳴り、両眼がショボショボするあるいはガサガサする、前額部痛、左側頭部痛、背部の倦怠感、緊張感、左肩こり、両肘部が伸展時にピリッとする、腰痛(軽度の鈍痛)、左足趾しびれ感があると言うものであり、他覚的には顔面知覚障害もなく、大後頭神経部、頸椎の圧痛もなかつた。マイオジールについては、レントゲン撮影の結果、昭和五〇年八月二二日、昭和五一年三月一九日のいずれの時点でも相当多数のマイオジールが原告の頭蓋内に点在していることが認められ、腰椎部にも従前に比して減少しているものの若干のマイオジールが残存していた。そして、原告の昭和五八年二月一六日時点における同病院での症状は、自覚症状としては前額部痛、左側頭部痛、耳鳴り、眼が刺すように痛い、肩こり、腰痛、精力減退であり他覚的には頸椎圧痛も知覚障害もなく、治療行為としては投薬、理学療法、腰痛に対する局所ブロックがなされている。
10 原告は、昭和五〇年六月一七日、鳥潟病院の納田嘉久医師の紹介により、赤十字病院脳神経外科で受診し、主として頭痛、耳鳴りを訴えた。同病院の松島正之医師は、同年七月一五日、頭蓋撮影では以前被告方病院で実施されたミエログラフィーの造影剤が頭蓋底に散在して付着する以外に異常所見を認めず、脳血管障害の診断を下した。さらに同病院脳神経外科の佐藤耕造医師は、同年六月二〇日、神経学的検査、超音波検査で特記すべき異常を認めず、頭蓋単純撮影で原告の前頭部窩、中頭部窩の基底にマイオジールが残存する以外に特記すべき所見はなく、当時の原告の症状と残存マイオジールは関係あるかもしれないが処置としては対症的療法で経過観察した方がよいとし、単に頭痛、耳鳴りと診断した。また、同病院耳鼻科の同月一七日の診察によると、原告は、両混合性難聴で、頭痛の原因は不明とのことであつた。原告は、その後も鳥潟病院等とも併行して赤十字病院に通院し、主として頭痛、その他の耳鳴り、眼窩上部痛を訴えたが、同年一〇月二日、同病院から鳥潟病院でのみ受診するように指示され、以後赤十字病院には通院していない。
11 原告は、昭和五〇年七月一九日、府立病院脳外科で受診し、頭痛、耳鳴りを訴え診察・検査の結果、大後頭部にやや圧痛が見られ、頭蓋内にマイオジールの残存が認められた。原告は、その後同病院に通院し、一貫して頭痛を、その他耳鳴り、顔面の熱感、頭頂部熱感、唇舌のしびれ感、眼部違和感、肩こり等多くの症状を訴え、神経質な態度であつたが、神経学的、眼科的、耳鼻科的に異常は認められなかつた。また、原告は、診察を受けるたびに鎮痛剤が足らないから頭痛が取れないとしきりに鎮痛剤を求め、鎮痛剤に対する中毒の傾向がみられ昭和五四年五月一五日、市大病院においても鎮痛剤の投与を受けていることが判明したため、府立病院外科の上農哲朗医師はそのまま二つの病院で鎮痛剤の併行投与を受けるのであれば副作用等の責任を持たないと原告に警告し、さらに従来の投薬量を半分以下に減らしたが、その後も原告の訴える症状には余り変化がみられなかつた。ところで、府立病院脳外科の飯田紀之医師は、昭和五〇年九月一七日、原告の頭痛症の原因は頭蓋内に残存するマイオジールの可能性が強いと診断し、昭和五四年一〇月一日の同病院での頭部CT(コンピューター断層撮影)所見報告は原告の左中頭蓋窩内、前頭の脳溝の中にマイオジールが存在し、明確でないがトルコ鞍中にもマイオジールの存在する可能性があり、マイオジールによるクモ膜炎ないし水頭症の病態は存在せず、マイオジールのうち脳溝をまわり込んで前頭内に入つたものについては何分か原告の愁訴と関連するかもしれないが、他の所見は全く正常と言うものであつた。そして、昭和五八年二月一七日当時、原告の同病院に訴える自覚症状は頭痛、顔面痛、耳鳴り、イライラすること、怒つぽくなつたこと、肩こり、舌のしびれであり、他覚所見としてはマイオジールの残存のみでそのマイオジールも同月一日のレントゲン撮影及び同月一五日のCT検査で原告の頭蓋底に数個認められるのみで昭和五〇年七月一九日に比し著明に減少しており、原告は鎮痛、鎮静剤の内服療法を受けている。府立病院脳外科部長川合省三医師は、昭和五八年二月一七日現在の原告の症状が少量となつた残存マイオジールと因果関係があるとは考えにくい旨判断しており、同病院精神神経科部長の同月一四日の診察によると、現在の原告の痛みには神経症的な要素が強い旨診断している。
12 原告は、納田医師の紹介により、昭和五〇年七月二一日、市大病院脳神経外科で受診し、頭痛を訴えた。同病院でのレントゲン撮影の結果、前頭部窩、中頭部窩に多数のマイオジールの残存と第五、六頸椎の異常が認められたが、神経学的異常や知覚障害等は認められなかつた。原告は、その後同病院に通院して頭痛、耳鳴り、めまい、顔面熱感等を訴え、鎮痛剤投与等の治療を受けた。ところで、同病院の藤本勝邦医師は同年八月八日、原告の頭痛は椎管腔造影時の造影剤が頭蓋内移行することに起因する旨の診断を下し、また同病院の黒川賢医師は昭和五一年二月二一日、前記藤本医師は同年一二月七日、それぞれ福祉事務所長に対し、原告の病名は脳底部、脊髄クモ膜炎、頸性頭痛として医療を要する旨の意見書を提出した。そして、昭和五八年二月二四日における原告の同病院で訴える自覚症状は前額部から眼部へかけての熱感及び疼痛、両側耳鳴りであり、他覚的には特に異常は認められず、マイオジールは中頭蓋窩、トルコ鞍上部等に残存していることが認められ、鎮痛剤、鎮静剤点眼薬投与による薬物治療を受けている。
13 原告は、昭和五〇年八月一八日、一九日、前記10の赤十字病院の診断、前記11の府立病院の診断、前記12の市大病院の診断により、同人の頭痛はマイオジールに起因するものと考え、赤十字病院の診断書、レントゲン写真や市大病院の診断書を持参して被告方病院を訪れ、被告に対し、レントゲン写真に写つているマイオジールが頭痛の原因であり、原告は頭痛のため仕事ができないのでその損害賠償のための示談をしたいと申入れた。被告は、これに対し、原告の症状の原因は交通事故による外傷や梅毒罹患などマイオジール以外にあるとして示談には応じなかつた。さらに原告は、同年一〇月七日、被告方病院を訪れ示談を申入れたが、被告は訴訟で問題を解決したらよいと答え、示談には応じなかつた。
右のとおり認められ、原告及び被告各本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
三原告は、被告が原告との診療契約上ミエログラフィーを実施するについて医師として尽すべき注意義務に違反して不適切な医療行為をなし、その結果原告の頭痛等が発症したものであるから、被告は診療契約に基づく債務不履行責任を負う旨主張する。
そこで、以下、被告が原告に対して行つた診療行為について債務不履行責任を負うべき不適切な点があつたか否かにつき順次検討する。
1 原告は、ミエログラフィーの実施は精密な神経学的検査を行つたうえ、手術を前提とする場合に限定されるべきであるにかかわらず、被告はミエログラフィーを手術の要否を判断する手段として実施した旨主張する。
前記二2ないし4で認定した事実によると、被告は、昭和四八年二月一二日午後、本件ミエログラフィーを実施したものの、同月一四日には手術を控えて原告には保存的療法を行うことにしたものではあるが、ミエログラフィーを手術の要否を判断する手段として実施し、その結果によつて手術不要と決定したわけではなく、被告は、原告に対し、疼痛部位等に関する問診を行つたほか下肢伸展挙上テスト、拇指背屈筋力検査、知覚障害検査等の神経学的検査、レントゲン撮影を実施した結果原告の第四、五腰椎々間の椎間板ヘルニアの発生の疑いが濃厚であると考え、さらに被告の腰部の疼痛が自力で移動できず、うつ伏せにもなれない程激しいものであつたところから、このままの症状が続くなら手術が必要であると判断し、手術を要する患部の確定診断を得るため本件ミエログラフィーを実施したが、その後原告の疼痛が著しく軽減し、症状が好転したため手術不要と判断するに至つたものと認められるから、結果的に手術を行う必要がなくなつたからといつて、本件ミエログラフィーが不要、不適切な処置であつたということはできない。のみならず、<証拠>によると、ミエログラフィーは手術をする前提で実施するのが医療上の常識であるが、医師間でもミエログラフィーの実施については、造影剤による副作用を慮つて極力これを行うことを避けるか、行うとしてもミエログラフィー実施前にあらかじめ精密な神経学的検査(様々な腱反射、知覚検査、筋肉の萎縮の度合の検査など)、腰椎穿刺、髄液検査、筋電図検査等を行い、手術の要否を検討し、確定的に手術を決定したうえで(手術を実施した場合の方が注入造影剤を排出しやすい。)、実施すべきであり、たとえこれを行わずに手術した結果神経学的検査によつて推定した部位と異なる部位にヘルニアの存在が判明するような場合が生じても、その部分をさらに切開して手術する方がミエログラフィーによる副作用に起因する障害より患者に与える害が少ないとする見解がある一方、ミエログラフィーを行わずにヘルニアの罹患部位、程度を完全に確定することは困難であり、手術した結果推定部位と異なる部位にヘルニアが存在していた場合には、さらにその部分の切開をせざるを得ず、その方がミエログラフィーの副作用による障害より害が大きく、患者に対する手術侵襲をできる限り必要な椎間板にのみ限定する目的で一応手術の必要性が予測される場合には患者の罹患の部位・程度につき確定診断を得るため手術前に必ず、ミエログラフィーを実施する必要があるとする見解があり、昭和四八年当時マイオジールが相当安全な造影剤と考えられていたことにも照らすと、一応手術の必要性が予測される場合に手術部位の確定診断のためにミエログラフィーを実施するか否かは当該医師の経験、医療に対する見解に応じた医師の裁量に委ねられている事柄とみることができ、また、それ故、ミエログラフィーが手術を前提とする場合に限り許されるという立場も、十分な神経学的検査等を経ずして安易にこれを実施することを戒しめるものであつても、必ずしも確定的な手術決定後でなければならないというわけではなく、一応の手術の必要性の予測のある以上は手術の要否をも含めて手術部位の判断についてさらに慎重を期するためにミエログラフィーを実施することを全面的に不可とするものではないと解するのが相当である。そうすると、被告が問診による疼痛の部位、程度や原告の容態、神経学的検査、レントゲン検査等の結果により一応手術の必要性を予測した上、さらに原告のヘルニアにつき手術の要否をも含めて手術部位の確定診断を得るため本件ミエログラフィーを実施したことをもつて医師としての不適切な行為ということはできない。この点に関する原告の主張は理由がない。
2 原告は、被告は本件ミエログラフィーを実施するに際し、原告に対し、マイオジールの副作用を含めて施術方法を具体的に説明せず、その同意も得なかつたものであるから、本件ミエログラフィーは不適切な施術である旨主張する。
一般に、医師は、患者に対して手術等の侵襲を加えるなどその過程及び予後において一定の蓋然性をもつて悪しき結果の発生が予想される医療行為を行う場合、あるいは死亡等の重大な結果の発生が予測される医療行為を行う場合は、診療契約上の義務ないし右侵襲等に対する承諾を得る前提として、当該患者に対し、病状、治療方法の内容及び必要性、発生の予想される危険等について、当時の医療水準に照らし相当と思料される事項を説明し、当該患者がその必要性や危険性を十分比較考量の上右医療行為を受けるか否かを選択することを可能ならしめる義務があるものと解するのが相当である。
これを本件についてみると、前記二2で認定したとおり、被告は、本件ミエログラフィー実施に際し、原告に対し、造影剤を腰から注入してレントゲン検査をする旨の説明をなし、ミエログラフィーの実施につき原告の同意を得たものであるが、被告が原告に対し、マイオジールの副作用やミエログラフィーの施術方法について右説明以上に具体的な説明をしたと認めるに足りる証拠はない。
しかしながら、マイオジールは、ヨードをエステルの基剤に溶解したエステル性脊髄造影剤であつて、従来使用されてきた油を基剤とするモリヨドールなどの油性造影剤とは異なり、粘稠度が低く、かつ刺激性の少ない脊髄造影剤としてイギリスのグラクソ社で開発され、わが国では昭和三〇年に輸入承認されて昭和三三年四月一日から販売され、粘稠度が低く刺激性が少ないので注入しやすく、また油性造影剤と異なり、吸引して体内からの抜去が可能であつたので発売開始後しだいに多用されるようになつたが、昭和五六年一二月わが国における販売が全面的に中止されたこと、残存マイオジールの副作用についての学会報告等がなされていることは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、マイオジールの副作用には、ミエログラフィー後およそ一週間内に発生し、その後軽快する発熱、神経根刺激症状、悪心、腹痛、頭痛等の急性障害とマイオジールが吸引されず長期間滞留するため時として発生する癒着性クモ膜炎や重篤な神経障害等の後期障害があるが、そのうち急性障害はその症状も軽く一過性のもので特に後遺障害を残すものではなく、後期障害の発生可能性は、昭和四八年当時は発生の頻度は少ないがあり得るから、注意するようにと言われる程度のものであつたこと、マイオジールはわが国においては、昭和五六年、マイオジールの残存が原因ではないかと疑われる副作用報告、医療紛争が起き、また、脳、脊髄造影剤としてよりすぐれた効能をもつアミパークが発売されたため、発売が中止されたが、昭和四一年から昭和五二年までに五六万四二三七本(三cc入りアンプル換算で)、昭和四八年は四万三二〇三本販売され、日本薬局方にも収載されるなど、相当安全性の高い造影剤として医師に頻繁に使用されてきたことが認められ、これらの事実に照らすと、少くとも昭和四八年当時、マイオジールによるミエログラフィーは、腰椎等の患部の診断のため通常行われていた検査方法であつて、施術後一定の蓋然性をもつて悪しき結果が予測される医療行為としてマイオジールの副作用やミエログラフィーの施術方法について遂一詳細かつ具体的に説明する義務があるとまで認めるのは相当でない。そうすると、被告が原告に対し、腰部に造影剤を注入してレントゲン撮影をするという程度の概括的な説明をした以上右検査に際してなすべき説明義務を履行したものというべきであつて、被告がマイオジールの副作用を含めてミエログラフィーの施術方法等について遂一詳細、具体的に説明しなかつたとしても、これをもつて医師に医療行為前に行うことが要求される説明義務に違反したということはできない。この点に関する原告の主張は理由がない。
3 原告は、ミエログラフィーに使用するマイオジールの量は必要最少限度にすべきであつて、腰部脊髄腔のミエログラフィーの場合には、1.2ないし1.5cc、多くとも2ないし2.5cc程度の使用量に限定すべきであるにかかわらず、被告の本件ミエログラフィーでの使用量は4.5ccで多量に過ぎる旨主張する。
前記三2で認定したとおり、マイオジールは副作用として急性障害、時として癒着性クモ膜炎等の後期障害を引き起こすことがあるので、ミエログラフィーの実施に際してはいたずらに多量のマイオジールを使用すべきではなく、その量は必要最少限にとどめるべきであることはいうまでもないところである。
<証拠>によると、マイオジールの使用量については昭和四八年当時医学上その基準が厳密に定められていたわけではなく、当時の日本薬局方には注射用イオフエンジラート(マイオジールと同じ)の使用量は三ないし六ccと記載されていて、椎間板ヘルニアの罹患部位の判断のための造影所見を得るに必要な最少限度のマイオジールの量は右記載の数量を著しく超えない範囲においてミエログラフィーを実施する医師の経験と判断に委ねられていたものであり、実際にも使用量を極力制限して一ないし二ccあるいは2ないし2.5ccに止める医師がある一方、4.5ccでも多くはないと考える医師もあること、被告は、昭和三六年ころから年間一〇〇例位はマイオジールによる造影検査をしていたが、ほとんどの場合4.5ccのマイオジールを使用しており、従前その副作用による障害が生じたことはなかつたことが認められるから、被告が原告に対して注入したマイオジールの量4.5ccは右の医師の裁量に委ねられている使用量の範囲内であると認めるのが相当であつて、被告の右使用量が多量に過ぎて不適切なものということはできない。原告のこの点に関する主張は理由がない。
4 原告は、被告はミエログラフィー実施後直ちにマイオジールを抜去すべきであるのに、当日直ちにマイオジールを抜去することなく翌日までこれを放置し、またマイオジール抜去のため腰椎穿刺針はマイオジール注入後も抜去せず検査終了後透視下でマイオジールを吸引するために存置すべきであるのにマイオジール注入後針を抜去したのは不適切な行為であると主張する。
前記二2・3で認定したところによると、被告は原告にマイオジール注入後直ちに腰椎穿刺針を抜去したうえレントゲン撮影を実施したが、神経根嚢像消失をみて原告の腰椎々間板ヘルニアの罹患部位の確定診断を得るためマイオジールは当日のミエログラフィー終了後も抜去せず原告の脊髄腔内に存置することにし、翌日、再度ミエログラフィーを実施して神経根嚢像消失により罹患部位を確認した上で、原告の脊髄腔内からマイオジールを抜去しようとしたが、抜去の途中で原告が激しい痛みを訴えたので抜去を中止したものである。ところで、<証拠>を総合すると、昭和四八年当時、脊髄腔内に注入されたマイオジールは抜去するのが医療上の常識であつたが、罹患部位の確定診断を得るためや手術前と手術後の経過をみるためにマイオジールを意図的に患者の体腔内に短期間存置しておく方法も医療上の必要性から用いられていたこと、腰椎穿刺針をマイオジール注入後も抜去しないで存置したままの状態で撮影し、検査終了後透視下でマイオジールを吸引する方法はわが国では余り用いられていなかつたし、むしろ腰椎穿刺針を患者の脊髄に刺したまま検査終了まで存置することは感染や撮影時の体位変換により神経を損傷する危険があること、マイオジールによる後期障害は長期間のマイオジールの残留に起因するもので、一昼夜程度の短期間マイオジールを患者の体腔内に存置しておくことはさして有害とは考えられていなかつたこと、マイオジール抜去の途中患者が強い痛みを訴えた場合には無理に抜去を続行すると髄圧の変化等によりけいれんを生ずる危険があることが認められ、これらの事実に照らすと、被告がマイオジール注入後直ちに腰椎穿刺針を抜去し、当日と翌日の二度にわたつて撮影して腰椎々間板ヘルニアの罹患部位、程度を確認した後注入の翌日にマイオジールの抜去を試み、原告の激しい痛みの訴えによりその抜去を途中で中止したことは適切な処置であつて、何ら医師としての注意義務に反する行為とは認められない。この点に関する原告の主張は理由がない。
5 原告は、被告はマイオジールを全部抜去できなかつた場合は再度の抜去を試みるべきであるのに、これを行わなかつた旨主張する。
たしかに、前記二3で認定したとおり、被告は原告の脊髄腔内に注入したマイオジールの抜去を一度試みたが原告が激しい痛みを訴えたので抜去を途中で中止し、その後は再度原告からマイオジールを抜去することを試みなかつたものである。
しかし、<証拠>によると、マイオジールの抜去を途中で中止したときはその後患者の症状によつては機会をみて再度抜去を試みることが望ましい場合があるが、抜去のための腰椎穿刺自体が苦痛を伴うものであるうえ、患者の神経に損傷を負わせたり、脊髄液中に出血してマイオジールとまざつて炎症を引起す危険もあること、しかも、当時のマイオジール販売元より出されていた効能書にはマイオジールは約六〇パーセントは吸引除去によつて除去され、残りは徐々に吸収される、患者に不快な苦痛が考えられるときは、吸引除去しないでもよい、このような場合、マイオジールは特別に有害な作用を発しないで徐々に吸収される旨記載されていて、一般に、マイオジールは吸引によつても一〇〇パーセントは除去できないものであるし、安全性の高い造影剤であつて、患者が抜去に苦痛を訴える時は無理して何度も抜去しなくても差支えないものと考えられていたこと、マイオジールによる障害はミエログラフィー後短期間に発生するものが多いところ、原告には昭和四八年九月一七日に被告方病院での治療を中止するまでマイオジールに起因すると疑われる後遺障害発生の徴候は見られず、途中腰痛や頸部痛の治療のため、同年四月二五日に一旦中止していた通院を同年八月二九日に再開したことはあるもののその病状は軽快に向つていたことが認められるから、これらの事実に照らすと、被告が本件ミエログラフィー以後にマイオジールの再度の抜去を試みなかつたことは医師としての注意義務に反する不適切な行為であるとまでいうことはできない。この点に関する原告の主張は理由がない。
6 原告は、被告は原告に対し本件ミエログラフィー後残存マイオジールが脳室内に逆流しないために頭を低くしないなどの注意をしなかつたのは不適切である旨主張する。
被告が、マイオジール注入後、原告に対し、マイオジールが原告の脳室内に逆流しないようにするため、頭を下げないこと、逆立をしないこと等の指示をしなかつたことは前記二2で認定したとおりである。ところで、<証拠>によると、ミエログラフィーを実施した医師はマイオジールの注入を受けた患者に対し、マイオジールが脳室内に拡散することを防ぐために逆立をしないことや頭を何日間か高くしておくことなどの指示をしておくことが通例であつたことが認められるけれども、原告は腰椎々間板ヘルニアに罹患し入院した四七才の患者であることからみて逆立をすることは到底考えられないし、また頭を腰の高さより低い位置に下げる動作は長期にわたる日常生活において避けられるものではないことに鑑みると、頭を低くしないようにすることの指示は実効性に乏しいものといわねばならないうえ、前記三5で判示したとおり、当時一般に、マイオジールは安全性の高い造影剤であつて残存したものも有害な作用なく徐々に吸収されるものと考えられていたことなどに照らすと、被告が原告に対し、特に逆立をしないこと、頭を下げないことの指示をしなかつたことをもつて医師としての注意義務に違反した不適切な行為であるとまでいうことはできない。この点に関する原告の主張は理由がない。
四原告は、原告の症状は本件残存マイオジールに起因する旨主張するので、以下、原告の症状と本件マイオジールとの間に相当因果関係があるか否かについて検討する。
1 マイオジールの副作用には、前記三2で判示のとおり、ミエログラフィー後およそ一週間内に発生し、その後軽快する発熱・神経根刺激症状・悪心・頭痛・腹痛等の急性障害とマイオジールが吸引されず長期間滞留するため時として発生する癒着性クモ膜炎・重篤な神経障害等の後期障害があるところ、前記二2ないし6で認定したところによると、原告は、本件ミエログラフィー実施の当日に腹痛を訴えたがそれは腰痛に伴うものであつたし、その他右急性障害に該当する症状は訴えずに腰痛等は、軽快に向い退院したものであり、マイオジールの副作用による急性障害を発症したものと認めることはできない。
2 そこで、原告の現症状が残存マイオジールの副作用に起因する右後期障害であると認められるか否かについて検討する。
(一) <証拠>によると、マイオジール抜去直後に頭痛を訴える患者は多いが、その症状は一過性であること、マイオジールの後遣症の重症例の大部分はマイオジール注入直後から発症して徐々に悪化していることが認められるが、前記二5ないし12で認定したところによると、原告が頭痛、耳鳴りを訴え始めたのは本件ミエログラフィー後約二年三か月を経過した昭和五〇年五月二〇日北脇整形外科でマイオジール抜去を受けた後であり、また、原告は、同年六月四日鳥潟病院で受診した時には腰痛と膝の異常だけで頭痛を訴えていなかつたにもかかわらず同月九日同病院でマイオジール抜去後に頭痛、耳鳴りを訴えその後現在に至るまで頭痛、耳鳴りその他多彩な神経症状を訴え続けているものであり、かつ、原告は、本件ミエログラフィー以前の昭和四七年九月にも頸椎骨軟骨症のため大後頭神経ブロック等の治療を受けたことがあるほか、昭和四八年三月一九日には交通事故のため頸部挫傷の傷害を受けて大後頭神経ブロック等の治療を受けたものであるところ、証人上農哲朗の証言によると、頸椎の異常が原因で頭痛、耳鳴りその他原告の訴える神経症状が生じ得るものと認められること、さらに、<証拠>によると、原告の頭蓋底内のマイオジールは一定の速度で吸収されていて昭和五八年二月一日のレントゲン撮影及び同月一五日のCT検査ではわずか数個の残存が認められるだけで、昭和五〇年七月一九日当時に比し著しく減少しており、また、マイオジールのクモ膜への癒着は余りみられず、昭和五四年一〇月一日の府立病院での検査ではクモ膜炎ないし水頭症の病態は存在しなかつたのに、原告の訴える症状は昭和五一年当時から現在までほとんど変化していないことが認められること、そのうえ、前記二1113で認定したとおり、原告は、昭和五〇年八月当時には頭蓋内のマイオジールの存在を知り、市大病院の診断書によりその頭痛はマイオジールに起因するものと考え、併行して複数の病院から鎮痛剤の投与を受け、府立病院では診察に来るたびに多彩な症状を訴えるとともに鎮痛剤が足らないから頭痛が取れないとしきりに鎮痛剤の投与を求め、副作用を心配した医師が投薬量を大幅に減らしてもその後も訴える症状に大きな変化はみられず、原告の訴える多彩な神経症状についてはマイオジールの残存以外に他覚的異常所見はみられず、府立病院の精神神経科部長は、昭和五八年二月一四日の診察により原告の痛みには神経症的な要素が強い旨の診断をしていることなどの事実が認められる。
以上の事実を総合して考察すると、原告の頭痛、耳鳴りその他の神経症状(但し、腰痛を除く。)がマイオジールの副作用に起因するものであると認定することは困難であるといわざるを得ない。
もつとも、<証拠>によると、市大病院の藤本勝邦医師は、昭和五〇年八月八日、原告の頭痛は椎管腔造影時の造影剤が頭蓋内移行することに起因する旨の診断を下していることが認められるが、前記乙第七号証、証人白馬明の証言によると、藤本医師は大学卒業後大阪市立大学医学部の医局員となり主に電子顕微鏡を使つての基礎的研究に従事していたところ、昭和五〇年七月ころ初めて臨床部門に従事することになつたもので、同年八月段階においては臨床の経験が比較的浅く、マイオジールを用いてのミエログラフィーの経験は全くなかつたものであり、また、同医師は同年七月二一日、初めて原告を診察し、同年八月八日に原告の二度目の診察をした際に残留マイオジールによるクモ膜炎等の発症した形跡が何ら認められないのに、単にマイオジールの残存することが認められることだけから、これを原告の頭痛の訴えと安易に結びつけて右診断を下したものと認められるから、右診断によつて原告の症状が残存マイオジールに起因するものと認定することはできない。
また、<証拠>によれば、府立病院の飯田紀之医師は、昭和五〇年九月一七日、原告の頭痛はその頭蓋内に、残存するマイオジールに起因する可能性が強いとの診断を下していることが認められるが、前認定の諸事実に照らして同医師の診断結果はこれを採用することができない。
(二) 次に、<証拠>を総合すると、腰部癒着性クモ膜炎の大多数は主にミエログラフィーのために注入された造影剤の刺激及び後方よりする椎間板外科手術などの化学的あるいは物理的刺激に基づき発生し、その大半は腰椎手術あるいは多数回手術後の愁訴の再出現例にみられ、その症状は定型的な腰部癒着性クモ膜炎の多くにあつては腰痛と多根性の下肢知覚運動障害が主体であり、その発生経過はおおむね初期の変化が急速で以後割合徐々に進行し、およそ六か月ないし一年の経過で明らかになる傾向があることが認められるところ、前記二1ないし8で認定したところによると、原告は、本件ミエログラフィー後腰椎手術を受けずに腰痛は軽快に向つて退院し、その後腰痛が再発したため一時中断していた通院を再開したものの、昭和四八年九月一七日通院を中止したが、それ以後は約一年四か月経過後の昭和五〇年一月一四日に北脇整形外科で腰痛を訴えるまで特に腰痛、下肢運動知覚障害を訴えたことはないこと、また原告は、もともと昭和四七年ころから年1.2回の割合で腰痛があり、昭和四八年二月一二日の診察の結果第3.4腰椎々間板ヘルニアと診断されていたもので、同年九月一七日の通院中止時においても右椎間板ヘルニア自体が完治していたものではなく、腰痛は容易に再発しうる状態にあつたものであるから、原告の腰痛が一旦治まつた後再び発症したからといつて、それが残存マイオジールの副作用によるものであると即断することはできないのみならず、証人岡田正晴の証言によると、原告の脊髄腔内の残存マイオジールにより特に病的な変化をきたす可能性はないことが認められる。
以上の事実を総合すると、原告の腰痛はもともと存した椎間板ヘルニアの症状であるとみるのが相当であつて、残存マイオジールの副作用に起因するものと認めることはできない。
五以上の次第で、被告には原告との診療契約上の債務の履行につき医師としての注意義務に違反する不適切な行為があつたとは認められないし、原告の訴える神経症状が残留マイオジールの副作用に起因するものと認めることもできないので、いずれにせよ被告が原告に対して債務不履行責任を負う旨の原告の主張は採用できない。
よつて、原告の請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(山本矩夫 朴木俊彦 川野雅樹)